2010年5月1日土曜日

歌舞伎座閉場式について

歌舞伎座の閉場式を観てきた。
閉場式を昼の部、夜の部と二度行ったことで「式」ではなく「興行」となった。
それは、いくら観客のためと強弁しても、否めないことだと思う。
だとすれば「興行」として、実質がともなっていたかである。
これは否定さぜるをえない。
もとより、「ご挨拶」「口上」「歌舞伎座手締式」が、興行の実質を担うと思っている人間はいないと思う。
歌舞伎座に私も感傷はあるが、それ以上の意味はない。
だとすれば、「都風流」「京鹿子娘道成寺」に、そのような実質がとなわっていたとは、とても思えない。
「都風流」は、素踊りの大顔合わせにすぎない。
劇界の内実を知る人からいえば、吉右衛門、勘三郎のツレが実現したとの感慨はあるとしても、舞台としての実質はない。
「京鹿子娘道成寺」にしては、だれも、本質を踊ろうとはしていない。
最後の「興行」のための自己犠牲であろう。
不毛の「歌舞伎座閉場式」が、閉じた。
30日には、何の意味もない。
28日の千秋楽を観た人々は、至福の快楽を味わったと思う。
そのことを確認できた「閉場式」であった。