2010年4月9日金曜日

玲瓏な玉 ーー菊之助の玉手御前

七世梅幸の舞台写真集に『梅暦』がある。
撮影は、桑野常郎。一九九三年に源流社から
出版されている。桑野はここで、あえて舞台写真をモノクロームのフィルムに収めている。カラー全盛の時代に、あえてモノクロームを用いたところに、写真家の梅幸に対する評価が働いてるように思う。
桑野は、刊行に当たってと題したまえがきのなかで、以下のように書き記している。
「現在のフィルムでは歌舞伎舞台の豪華絢爛さと華やかな色彩の衣裳など、自分なりの色彩で表現しようと試みてもなかなか満足できない。『墨には五彩あり』で、モノクロームの世界にこそかえって色を感じ捉えられるのである。それに梅幸丈の舞台は、モノクロームで表現したほうがぴったり合うとの考えから現在まで撮影してきた」
折に触れて、この写真集を眺めてきた。
五月松竹座で、梅幸の孫にあたる菊之助が初役で、『摂州合邦辻』の玉手御前を勤めると聞く。
ふと思いついて、この写真集を取り出すと、ちょうど一〇〇頁にはじまり四葉の写真が収録されている。
はじめの一枚は、花道の出である。
〽しんしんたる夜の闇、恋の道には暗かねねど気は烏羽玉(うばたま)の玉手御前」
義太夫に乗って、片袖をちぎって頭巾がわりにした玉手御前が揚げ幕から登場する。
写真は、門口でたたずむ、梅幸を捉えている。闇の中に、頭巾のなかからぼっと白い顔が浮かび上がっている。恋やつれか、心労の果てか。まっすくに立ち、品位の高い玉手御前である。
撮影データによると一九七四年国立劇場の舞台である。母お得は、六代目菊五郎の相手役を勤めた菊五郎劇団の名女方多賀之丞が勤めている。
私はたまたまこの舞台を観ている。記憶の中にある梅幸の玉手御前は、濃厚な女の色気を放っていた。その濃度は牡丹のようでもあった。品位を保ちつつ、色気を放つ。この至難な綱渡りを梅幸は、いともたやすいことかのように舞台上に実現していたのを思い出す。
義太夫の詞章に「十九や二十(つづやはたち)とあり、十代の終わりとの設定だが、梅幸、歌右衛門の昭和を代表する名女方が競うように上演したために、政岡ともに、女方の最高峰とのイメージを私も持っている。
たとえば、現在、歌舞伎界を代表する坂東玉三郎も、意外なことに、この玉手御前は手がけていない。
玉三郎の技倆、貫目からすると、玉手御前が勤まらぬわけはない。それにもかかわらず、手がけないのは、梅幸、歌右衛門によって封印されてしまった演目と思われているのだろうか。
もちろん梅幸の長男、現・菊五郎は、何度も手がけているが、華がこぼれるような美しい玉手御前であった。
菊之助としては、大きな挑戦だろうと思う。けれども、役柄に近い現在の年齢でこの玉手御前の役を勤めることが許されるのは、菊五郎家の嫡子をもって他にはいない。玲瓏な玉のような玉手御前を見に、大阪へと出かけようと思っている。