2010年3月20日土曜日

歌舞伎評について

この4月から東京新聞の歌舞伎評を担当することになりました。昨年、面識のない記者のかたから突然、電話をいただき、私でいいのだろうかと自問自答を続けてきましたが、紙面の字数や書き方についても、相談にのっていただき、寛容なご理解を受けたので、引き受けさせて頂く事にしました。
思えば、東京新聞は、かつて伊原青々園が健筆をふるっていた都新聞の伝統を受け継いでいます。その紙面で歌舞伎評を書くことができるのは、演劇評論家にとって名誉であり、重大なことと受け止めています。
私は二十代半ばに、「流行通信」に思いがけなく劇評を書く場を与えられ、その後も、「新劇」「日本経済新聞」「文学界」などに連載を続けてきました。四十代半ばまでは、小劇場を中心とした現代演劇の評論家でした。
これまで出版した書籍も、デヴィッド・ルヴォー、蜷川幸雄、野田秀樹を核としてきました。ところが、四十代半ばになって、中村勘三郎がコクーン歌舞伎、平成中村座など革新的な動きをはじめ、『野田版 研辰の討たれ』を皮切りに、野田秀樹との共同作業が進むようになってから、私も必然的に歌舞伎への傾斜を強めてまいりました。
十代から見続けてきた歌舞伎を仕事にするとは、三十代には思ってもおりませんでしたし、おぼろげながら、六十歳をすぎたら歌舞伎に専心できればいいなと思っていたのが正直なところです。
三十代の終わりに、歌舞伎座のお社に入れていただいてからは、いつ歌舞伎評を書いてもよいように準備をすすめてきました。幸い「演劇界」のおすすめもあり、たびたび歌舞伎評を書くようになり、また、ご縁もあって、近年は、「菊五郎の色気」(文春新書)「坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ」(岩波書店)と、歌舞伎の著作がふえてきました。
ようやくまがりなりにも心づもりが整ってきたところで、新聞の歌舞伎評を書く機会を与えられて、大変うれしく思います。
4月をもって、しばらくの間、歌舞伎座が閉場します。歌舞伎にとって象徴的な劇場がなくなったとき、本当の意味で、歌舞伎とは何か、その本質が問われる時期だと思います。
みなさまのご支援をよろしくお願い申し上げます。