『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』(岩波書店)が、この十四日、書店に並んだ。二年ほど前に、『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』をやはり編者としてかかわったので、三津五郎さんとの仕事は、二度目になる。
前回が歌舞伎の広大な領域について、網羅的に伺ったとすると、今回は、歌舞伎舞踊、日本舞踊に絞り、しかも、三津五郎さんが家元であることから、坂東流が大事にする演目に焦点を合わせた。
こうした本ができたのは、偶然ではない。この数年、三津五郎さんの踊りを観ていると、規矩正しく、見事なものだと感心することしきりだった。踊りとしてすばらしいことはわかる。評を書くことにはためらいはないのだけれど、その身体、その精神のなかで何が起こっているのかを知りたいと思った。
前作、『歌舞伎の愉しみ』は、様式的、身体的な演劇だといっても、物語があり、言葉が中心であった。けれども、今回の『踊りの愉しみ』は、詞章があり、音楽があるとはいっても、あくまで身体表現が中心である。その動きの原理を言葉で問い詰めるのは、困難がともなう。インタビューをしつつも、三津五郎さんと私で、「これで伝わるのだろうか」と何度も何度も、話し合いを続けた。
インタビューが終わり、いざ活字に起こす段になっても、「あの」「この」がやはり続出していて困難をきわめた。取材の現場では、ちょっとした目の動き、手の動き、あるいは実際に型を見せて下さることで、つい納得していたことを、文字で再現しなければならない。今回は渡辺文雄さんの舞台写真を数多く収録したが、舞踊を文字で伝えるむずかしさをおぎなうためだった。
むずかしさばかり良い連ねてきたけれども、取材そのものは、驚きと発見に満ちて、楽しいものであった。舞踊のありかたについて、教えられ、考え込まされることしきりだった。私は幸運な一年あまりを過ごした。こんなに舞踊の実際について、考えることはもうないだろうと思う。それほど濃密な月日だった。
2010年9月16日木曜日
2010年7月1日木曜日
2010年6月1日火曜日
歌舞伎変身の技法
東京芸術大学では以下のように、特別講義を行います。
身体表現、演劇などを活動領域とされている方にとってはまたとない機会となるかと存じます。
研究者、他大学の学生の方々に限り、受け付けいたします。
聴講希望の方は助手安田までメールにて御連絡下さい。
(先着50名程度とさせていただきます)
ご希望の研究者、学生は、お申し込みの上、入場整理券をプリントアウトしてお持ち下さい。
詳細は、返信のメールにてお知らせいたします。
講義の詳細につきましては下記をご覧下さい。
聴講希望の御連絡、お問い合わせは
メール:akat☆mac.com(安 田)☆→@
五代目尾上菊之助特別講義
東京芸術大学美術学部先端芸術表現科 共通レクチャーシリーズ第二回
担当教員:長谷部浩(先端芸術表現科教授)
講師:尾上菊之助(歌舞伎役者)、杵屋巳吉(長唄三味線方)
日時:6月9日(水曜日)二限 午前10時40分より
場所:東京芸術大学上野校地 音楽学部 第6ホール
題目:「歌舞伎 変身の技法」
内 容:現代を代表する歌舞伎若手花形、尾上菊之助が、「変身の技法」をテーマに行う特別講義。男性から女性への性の横断、その早替りが演出の核となってい る歌舞伎の技法について、黒御簾音楽とのかかわりを含めて、デモンストレーションとともに、その表現のさまざまなありかたについて講義を行う。
プログラム、細目
○プログラム1 「歌舞伎の役々について」(15分)
五月大阪松竹座で尾上菊之助は、『摂州合邦辻』の玉手御前、『十種香』の濡衣、『京人形』の京人形、『髪結新三』の勝奴と、女方、立役―芝居、舞踊の領域を超えて、さまざま役をつとめた。そ れぞれの役を勤めた結果をお話しする。
○プログラム2 「歌舞伎の「出」について」(20分)
歌 舞伎は黒御簾音楽をはじめ、義太夫、常磐津、清元などの音楽にのって、花道からの「出」が表現の場として大きなものとされている。出では、台詞の表現に 先立って、性根を作り、ただその場にいるだけで、役のすみずみまで語り尽くすことが求められている。今回は、娘方、若衆、二枚目の三例をとって、その 「出」を再現してその違いを比較検討する。
○プログラム3 「世話物と黒御簾音楽について」(20分)
『弁天小僧』を例にとって、台詞と音楽の関係について、検証する。
○プログラム4 舞踊の実際について(20分)
『京鹿子娘道成寺』(鞠唄)の部分を素踊りでデモンストレーションする。音楽研究科博士後期課程在学の金子祐木(花柳美輝風)、菊之助の順で、同じ部分を 踊る。歌舞伎俳優と舞踊家、女方と女性舞踊家の違いを検証する。
身体表現、演劇などを活動領域とされている方にとってはまたとない機会となるかと存じます。
研究者、他大学の学生の方々に限り、受け付けいたします。
聴講希望の方は助手安田までメールにて御連絡下さい。
(先着50名程度とさせていただきます)
ご希望の研究者、学生は、お申し込みの上、入場整理券をプリントアウトしてお持ち下さい。
詳細は、返信のメールにてお知らせいたします。
講義の詳細につきましては下記をご覧下さい。
聴講希望の御連絡、お問い合わせは
メール:akat☆mac.com(安 田)☆→@
五代目尾上菊之助特別講義
東京芸術大学美術学部先端芸術表現科 共通レクチャーシリーズ第二回
担当教員:長谷部浩(先端芸術表現科教授)
講師:尾上菊之助(歌舞伎役者)、杵屋巳吉(長唄三味線方)
日時:6月9日(水曜日)二限 午前10時40分より
場所:東京芸術大学上野校地 音楽学部 第6ホール
題目:「歌舞伎 変身の技法」
内 容:現代を代表する歌舞伎若手花形、尾上菊之助が、「変身の技法」をテーマに行う特別講義。男性から女性への性の横断、その早替りが演出の核となってい る歌舞伎の技法について、黒御簾音楽とのかかわりを含めて、デモンストレーションとともに、その表現のさまざまなありかたについて講義を行う。
プログラム、細目
○プログラム1 「歌舞伎の役々について」(15分)
五月大阪松竹座で尾上菊之助は、『摂州合邦辻』の玉手御前、『十種香』の濡衣、『京人形』の京人形、『髪結新三』の勝奴と、女方、立役―芝居、舞踊の領域を超えて、さまざま役をつとめた。そ れぞれの役を勤めた結果をお話しする。
○プログラム2 「歌舞伎の「出」について」(20分)
歌 舞伎は黒御簾音楽をはじめ、義太夫、常磐津、清元などの音楽にのって、花道からの「出」が表現の場として大きなものとされている。出では、台詞の表現に 先立って、性根を作り、ただその場にいるだけで、役のすみずみまで語り尽くすことが求められている。今回は、娘方、若衆、二枚目の三例をとって、その 「出」を再現してその違いを比較検討する。
○プログラム3 「世話物と黒御簾音楽について」(20分)
『弁天小僧』を例にとって、台詞と音楽の関係について、検証する。
○プログラム4 舞踊の実際について(20分)
『京鹿子娘道成寺』(鞠唄)の部分を素踊りでデモンストレーションする。音楽研究科博士後期課程在学の金子祐木(花柳美輝風)、菊之助の順で、同じ部分を 踊る。歌舞伎俳優と舞踊家、女方と女性舞踊家の違いを検証する。
2010年5月16日日曜日
新聞評の役割について
東京新聞の歌舞伎評を担当して早くも二ヶ月が経過しようとしている。
歌舞伎座最後の月からはじめたのは、なにかのめぐりあわせだと思い、自分を叱咤激励してきたが、四月に三本、五月に三本、書き終えた時点での感想を書き残しておく。
新聞劇評は、公演がまだ継続しているうちに出るのが値打ちという考えもあるだろう。つまりは、観客がその芝居を観に行くか、やめておくか判断材料を提供するためにある。それもひとつの役割だろうと思う。ただし問題もある。欧米の劇評のように、初日の翌朝には、劇評が新聞に掲載されるようなシステムが、東京新聞にかぎらず、すべての新聞でできていない。そのために、掲載日によっては、公演のなかばどころか、終了後に掲載させる場合もでてくる。そのとき、観るか観ないかの判断材料とする意味は、ほとんど失われてしまう。
しかし、考えてみれば、新聞に掲載されている各ジャンルの評のうち、このような役割を与えられているのは、歌舞伎とミュージカル、現代演劇の代表的な舞台に限られる。現代演劇でいえば、蜷川幸雄、永井愛、三谷幸喜、野田秀樹ら一ヶ月公演が維持できる限られた少数の舞台にのみ、評がこのように機能している。
クラッシックのみならず、ポピューラーをふくめてコンサート、落語、能、狂言は、ほとんどが一日限りの公演であり、新聞評を読んで、舞台に足を運ぶようなシステムにはなっていない。
紙媒体からインターネットへ新聞が完全に軸足を移す時代がくれば、ほとんどすべての舞台について、初日の翌朝には評が掲載させる時代がくると思うが、その場合もコンサートなどは、原理的に公演終了後の掲載となる。
だとすれば、劇評に他の役割を考えるべきだと思う。ひとつには歴史化の作業である。この年、この月、この日に何が世界で起こっていたかを後世の人々が研究するときに、横断的なアーカイヴとして、新聞を検索する日が近づいている。そこでは、歌舞伎やクラッシックの狭い世界の論理ではなく、その舞台がいかに現代社会にとって意味を持っていたか、いかに世界に対して開かれていたかが書かれるべきではないか。
もとより、評論は、観客動員のための道具ではない。
後世などどいうのは、もちろんおこがましいと思うが、少なくとも、観客が自分の目で立ち会った舞台が、他者によってどのように写っていたのか、自他の目の違いを確認する場でありたいと思う。また、望むらくは、ふと評を目にしてしまった人々が、そのジャンルに興味をもつきっかけとなればいい。そう願っている。
歌舞伎座最後の月からはじめたのは、なにかのめぐりあわせだと思い、自分を叱咤激励してきたが、四月に三本、五月に三本、書き終えた時点での感想を書き残しておく。
新聞劇評は、公演がまだ継続しているうちに出るのが値打ちという考えもあるだろう。つまりは、観客がその芝居を観に行くか、やめておくか判断材料を提供するためにある。それもひとつの役割だろうと思う。ただし問題もある。欧米の劇評のように、初日の翌朝には、劇評が新聞に掲載されるようなシステムが、東京新聞にかぎらず、すべての新聞でできていない。そのために、掲載日によっては、公演のなかばどころか、終了後に掲載させる場合もでてくる。そのとき、観るか観ないかの判断材料とする意味は、ほとんど失われてしまう。
しかし、考えてみれば、新聞に掲載されている各ジャンルの評のうち、このような役割を与えられているのは、歌舞伎とミュージカル、現代演劇の代表的な舞台に限られる。現代演劇でいえば、蜷川幸雄、永井愛、三谷幸喜、野田秀樹ら一ヶ月公演が維持できる限られた少数の舞台にのみ、評がこのように機能している。
クラッシックのみならず、ポピューラーをふくめてコンサート、落語、能、狂言は、ほとんどが一日限りの公演であり、新聞評を読んで、舞台に足を運ぶようなシステムにはなっていない。
紙媒体からインターネットへ新聞が完全に軸足を移す時代がくれば、ほとんどすべての舞台について、初日の翌朝には評が掲載させる時代がくると思うが、その場合もコンサートなどは、原理的に公演終了後の掲載となる。
だとすれば、劇評に他の役割を考えるべきだと思う。ひとつには歴史化の作業である。この年、この月、この日に何が世界で起こっていたかを後世の人々が研究するときに、横断的なアーカイヴとして、新聞を検索する日が近づいている。そこでは、歌舞伎やクラッシックの狭い世界の論理ではなく、その舞台がいかに現代社会にとって意味を持っていたか、いかに世界に対して開かれていたかが書かれるべきではないか。
もとより、評論は、観客動員のための道具ではない。
後世などどいうのは、もちろんおこがましいと思うが、少なくとも、観客が自分の目で立ち会った舞台が、他者によってどのように写っていたのか、自他の目の違いを確認する場でありたいと思う。また、望むらくは、ふと評を目にしてしまった人々が、そのジャンルに興味をもつきっかけとなればいい。そう願っている。
2010年5月1日土曜日
歌舞伎座のない歌舞伎時代
歌舞伎座のない歌舞伎時代
三年間ではあるが、歌舞伎座のない歌舞伎時代に入った。もっとも大きな問題は、現在のところ、他の劇場で一幕見の制度が設けられていないところだと思う。
学生のとき、三階のB席で観るのがもっとも多かったが、もう一度観たいと思った演目は、一幕見を利用して二度三度、見直すことが多かった。
まして現在のような経済状況だと、歌舞伎の価格設定で、三階とはいえ二度三度見ることのできる若い世代はなかなかいないと思う。
たかだか、三年ではあるが、この空白のなかで、歌舞伎を集中的に観たい観客にとって、一幕見の欠如は痛い。
昨日、東京芸術劇場の芸術監督となった野田秀樹の事務所をあずかるプロデューサーと話していたが、現代演劇においても、チケット代の高騰によって、若年の演劇離れが著しく、なんらかの対策を打たなければいけないという話になった。
歌舞伎においても、同様の問題が起こっている。
現代演劇に較べると演じる側の世代交代は、着実に行われてるにもかかわらずに、観客を育成する方策に欠けている。
不入りの公演で、関係者をたどり切符を幕のではなく、すべての公演で、アンダー18、ないしはアンダー22を半額にするなど、思い切った方策が必要なのではないか。
この決断に踏み切ることが、次の十年、二重年の観客を育てるために有効な策である。このために公的な助成を入れることは、会社の自主性をそこなうものではない。
私自身も働きかけをしてみようと思う。
三年間ではあるが、歌舞伎座のない歌舞伎時代に入った。もっとも大きな問題は、現在のところ、他の劇場で一幕見の制度が設けられていないところだと思う。
学生のとき、三階のB席で観るのがもっとも多かったが、もう一度観たいと思った演目は、一幕見を利用して二度三度、見直すことが多かった。
まして現在のような経済状況だと、歌舞伎の価格設定で、三階とはいえ二度三度見ることのできる若い世代はなかなかいないと思う。
たかだか、三年ではあるが、この空白のなかで、歌舞伎を集中的に観たい観客にとって、一幕見の欠如は痛い。
昨日、東京芸術劇場の芸術監督となった野田秀樹の事務所をあずかるプロデューサーと話していたが、現代演劇においても、チケット代の高騰によって、若年の演劇離れが著しく、なんらかの対策を打たなければいけないという話になった。
歌舞伎においても、同様の問題が起こっている。
現代演劇に較べると演じる側の世代交代は、着実に行われてるにもかかわらずに、観客を育成する方策に欠けている。
不入りの公演で、関係者をたどり切符を幕のではなく、すべての公演で、アンダー18、ないしはアンダー22を半額にするなど、思い切った方策が必要なのではないか。
この決断に踏み切ることが、次の十年、二重年の観客を育てるために有効な策である。このために公的な助成を入れることは、会社の自主性をそこなうものではない。
私自身も働きかけをしてみようと思う。
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