2010年9月16日木曜日

『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』の仕事を終えて

『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』(岩波書店)が、この十四日、書店に並んだ。二年ほど前に、『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』をやはり編者としてかかわったので、三津五郎さんとの仕事は、二度目になる。
前回が歌舞伎の広大な領域について、網羅的に伺ったとすると、今回は、歌舞伎舞踊、日本舞踊に絞り、しかも、三津五郎さんが家元であることから、坂東流が大事にする演目に焦点を合わせた。
こうした本ができたのは、偶然ではない。この数年、三津五郎さんの踊りを観ていると、規矩正しく、見事なものだと感心することしきりだった。踊りとしてすばらしいことはわかる。評を書くことにはためらいはないのだけれど、その身体、その精神のなかで何が起こっているのかを知りたいと思った。
前作、『歌舞伎の愉しみ』は、様式的、身体的な演劇だといっても、物語があり、言葉が中心であった。けれども、今回の『踊りの愉しみ』は、詞章があり、音楽があるとはいっても、あくまで身体表現が中心である。その動きの原理を言葉で問い詰めるのは、困難がともなう。インタビューをしつつも、三津五郎さんと私で、「これで伝わるのだろうか」と何度も何度も、話し合いを続けた。
インタビューが終わり、いざ活字に起こす段になっても、「あの」「この」がやはり続出していて困難をきわめた。取材の現場では、ちょっとした目の動き、手の動き、あるいは実際に型を見せて下さることで、つい納得していたことを、文字で再現しなければならない。今回は渡辺文雄さんの舞台写真を数多く収録したが、舞踊を文字で伝えるむずかしさをおぎなうためだった。
むずかしさばかり良い連ねてきたけれども、取材そのものは、驚きと発見に満ちて、楽しいものであった。舞踊のありかたについて、教えられ、考え込まされることしきりだった。私は幸運な一年あまりを過ごした。こんなに舞踊の実際について、考えることはもうないだろうと思う。それほど濃密な月日だった。