2008年9月21日日曜日

オールメールキャスト

彩の国さいたま芸術劇場で、上演が続いている「彩の国シェイクスピア・シリーズ」は、「タイタス・アンドロニカス」のような傑出した舞台をつくりだしてきました。
そのなかでも、異色な系列となっているのは、喜劇を中心としたオールメールキャストです。
「お気に召すまま」にはじまり、「間違いの喜劇」「恋の骨折り損」と続き、
この十月には、「から騒ぎ」が上演されますが、シェイクスピア、イコール、古典の悲劇ではなく、
どたばたでもいいのだ、荘重な身振りなど振り捨ててしまえという蜷川の演出意図が鮮明に出たシリーズだと思います。
私にしてはめずらしくパンフレットの原稿を引き受けたのですが、
制作の意向が非常に明確で、「蜷川演出と音楽」について書いてほしいといわれたからでした。
視覚的なスペクタクルとして語られることの多い蜷川演出ですが、
音楽を切り口に各作品の冒頭を分析してみるのは、なかなかおもしろい作業でした。

もし、「から騒ぎ」をご覧になる方がいらっしゃいましたら、拙文をよろしければお読みください。

人形の家

ながらく更新をさぼっておりましたが、仕事も一段落したので、よしなしごとを綴っていこうかと思っています。
今月観た芝居のなかでは、デヴィッド・ルヴォー演出の『人形の家』が突出していたと思います。
以前、私は、デヴィッド・ルヴォーについて、『傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー演出の技法』(紀伊國屋書店)を上梓したことがあります。
「ブルールーム」「ナイン」以来、久々のデヴィッド・ルヴォー演出を観て、演出家の根幹にある技法は、変わらないものなのだかなと実感しました。
一言で言えば、西欧近代劇を上演する根本に、「言葉による決闘」を置いているということです。
今回は相当緻密な演出が行われ、ただ、個人の心情の吐露として、台詞があるのではなく、
相手を説得する、いや相手を屈服させるために、言葉はあるのだということが、明確に打ち出されていました。
その意味で、これまで何度もデヴィッド・ルヴォー演出を受けてきた堤真一や松浦佐知子にアドバンテージがあるのは、当然ですが、難役のノラを演じた宮沢りえが、女優として、ひとまわり大きくなったと感じました。
キャリアの適切な時期に、よい演出家の徹底した演出を受けると、こんな奇跡がおこるのですね。